スーパー耐久シリーズ第5戦第1レースが21日、三重県の鈴鹿サーキットで行われた。このレースのアクシデントでクラッシュしたOSAMU(中嶋修)は、県内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。享年54歳。
事故は10時にスタートした第1レースが20分を過ぎた頃に発生。10周目に入ったST-3クラスのassetテクノZ33が1コーナー手前でオイル漏れのため、自らのオイルに乗ってコースアウト。オイルフラッグが掲示されるが、後続の何台かもこのオイルで滑りやすくなった路面のためコースアウト・クラッシュする中、OSAMUのレイジュンZ33リールも1コーナーで曲がりきれずに激しくバリアーにクラッシュ。
直ちにコースオフィシャルが駆けつけ、レースはSC導入後にOSAMU救出のため赤旗中断となる。OSAMUは心肺停止状態で、現場で応急処置が行われた後、ヘリコプターで四日市市の三重県総合医療センターに搬送されるも12時5分、死亡が確認された。
OSAMUは1983年、FJ1600で4輪のレーシングキャリアをスタート。その後F3を経て全日本F3000選手権、フォーミュラ・ニッポン、全日本GT選手権、全日本スポーツカー耐久選手権シリーズ、SUPER GTなど日本のトップカテゴリーで活躍。近年はスーパー耐久シリーズやスーパーFJなどに参戦する傍ら、筑波サーキット正面にガレージを建て、後進のドライバーを育てる活動もしていた。
OSAMU選手のご冥福と残されたご家族のご多幸をお祈りします。
(Motor Sports FORUMより)
ちょうど、S字に居ました。
場内放送の叫び声に場内がザワザワし、見るとSCボードがポストで提示されていました。
次の周にはすぐに赤旗となり、見ると1コーナーでクラッシュしたマシンが見えました。
東コースのほぼ全域にまかれたオイルの処理で、相当時間がかかるだろうと思い、ほかの
カメラマンと戻ることにしました。その時、救急車によって搬送される姿がチラッと見えました。
「クルマが揺れてたから、たぶん心臓マッサージしてるよ」と言う某カメラマン。
その後、場内のモニター画像が流されていたので、見るとST3クラスの#70がやや左方向の
タイヤバリアにクラッシュしていて、その後に#63はその右方向にほとんど減速できずにまっ
すぐタイヤバリアに衝突していました。
かなり危ない状況だなとは思っていましたが、第2レースはオンタイムで進行され表彰式も行
われ、インフォメーションは何もなかったので、サーキットを出て夕方伊勢湾岸道のPAで携帯
サイトのMSチャンネルを見までは何も知りませんでした。
未だに、N1そしてS耐での初の死亡事故がOSAMU選手というのが信じられない心境です。
実は、土曜日にはS耐のお客さん(チームのゲスト)がビデオカメラで撮影されていて、
ピット上から落下されて亡くなるという事故も起きていました・・・
今週末は、もてぎでのGT最終戦です。
何事も無く無事にレースが終わってくれることを願いたいです。
デスクトップPCも修理中ですので、鈴鹿、もてぎの画像は来週以降に更新させて頂きたいと
思いますm(_ _)m